こんにちは、しょちょーです。
今日は高齢者(や難病)治療は同じことの繰り返しでつまらない、とかモチベーションに繋がらない問題についてお話してみようと思います。
実はこのタイトルについては昔から相談されます。
個人的見解ですが少し語ってみますので、もし現在この問題に直面している方がいたら参考になれば嬉しいです^_^
なぜ訪問治療=高齢者治療はつまらないと思うのか?
訪問治療においては治癒過程が非常にゆっくりか、現状維持、または進行を遅らせていくことを念頭においた治療になります。
皆さんも感じたことはありませんか?
- 寝たきり
- 認知症
このような方たちで特に重度の場合はマッサージ(や鍼灸)治療を行なって意味があるのかと。
同じことの繰り返しをする日々で、何のために治療をしているのかと疑問に思いつつもまた訪問する。
たしかにこのようになってくるとモチベーションどころか治療意義さえ見失うような気がします。
疾患治療は難しくても、日常生活動作は改善するかも
まず、患者本人に多少の認知機能が保たれており、苦痛を感じているのであればマッサージや鍼灸治療で苦痛から逃れられる時間を確保できる可能性があります。
または、体を動かさないことで生じる褥瘡などのリスクを低減させることに繋がるので、余計な苦しみを抱えずに住みます。
また、筋関節状況が以前と比べて改善することで「寝返り」「起居動作」「起立動作」「立位保持」「歩行動作」について以前よりも楽に実行することができるかもしれません。
胸郭や頸部、上肢などの可動性を確保・向上させることを目指した場合は誤嚥性肺炎のリスクも減らせます。
どんな疾患でも、高齢になればなるほど完全治癒は難しいです。
これは自然治癒力やそもそもの身体活動量が低下しており治りきらないためです。
ここは若年〜中年層との違いですよね。
「若い人の方がマッサージや鍼灸で治るから」は傲慢な気がする
たしかに若い人の方が治りは早いです。
しかし、本当にマッサージや鍼灸治療のおかげで治ったと言えるのでしょうか?
ここには患者本人の自然治癒力の高さがあって、そもそもしばらくの期間安静にするなどしていればある程度治った(症状消失)までいっていたのではないでしょうか。
マッサージや鍼灸治療というものはあくまでも外部刺激による「きっかけ」に過ぎず、100%その刺激のおかげで治っていっていると思うのは視野が狭いような気がします。
施術者の指示を理解し、患者本人が安静に努めていたとか、栄養補給状況を変えたとか、なにか他の取り組みを実施した結果の症状消失かもしれません。
高齢になればなるほど治療難易度が上がるのは、自然治癒力の低下を加味して治療プランを組み立てなくてはいけないためです。
だから「私、もっと難病とか難しい疾患を見ていきたいんだよね」と言われる施術者もいましたが、そういう施術者には担当をあまり任せませんでした。
家族の想いまで汲み取れるのか?
例えば、脊柱菅狭窄症であれば
- 殆どの原因は黄色靱帯の肥厚によって脊柱管が圧迫されている
- なぜ肥厚する状況に?→腹部圧力不足で腰椎過前彎になっている
- 腹部圧力向上訓練+椎間関節の離開で除圧を試みる
こういうふうに治療したりしますよね。
この疾患に対してのアプローチを選択して精査していくのは日々向上させていきますし、それが鍼灸マッサージ師という資格の専門性を発揮する場面かと思います。
でも、これは当たり前なんだと思います。
とある疾患に対して医学的知識でもって解決を図るのは当たり前。
タイトルにある「高齢者治療はつまらない」は、ここのところが未達成に陥りやすいから生じるのだと思います。
実は訪問業務ではそれ以外のことも多く求められます。
患者本人の精神的不安の緩和や、家族の想いを汲み取って、患者と家族をつなげることです。
実際に両親や妻、夫、子どもが寝たきりになったら、普通じゃいられないと思う
仮に自分のパートナーや子どもが寝たきりなどでコミュニケーションがまともにとれなくなったとしたらどう思いますか?
僕は「僕よりも先に逝かないで欲しい」と思います。
だから、僕自身のエゴを織り交ぜて、少なくとも現状維持を図ると思います。
そこに協力してくれる人がいたら本当に頼りになりますし、感謝をすると思います。
どういう形でも、生きていて欲しいと思うのですが、、、恐らく高齢患者の周りも同じような気持ちを抱いているのではないでしょうか。
訪問治療をしていると患者本人の想いや、家族の想いをよ〜〜〜く観察して、どういう結末を望んでいるのかを想像しています。
言葉で話している部分だけでは1〜2割もわかりません。
衣食住の様子、本人や家族の実際の行動、介護保険の利用状況なんかも考察材料にして考えます。
そうすると、提案実施する治療内容は驚くほど変化したりします。
手技に模範解答はあるけど、必ずしも望ましいとは限らない
とある疾患に模範解答的な手技はありますが、患者さんや家族はそれを必ずしも望んでいるとは限りません。
だから、感情部分や想いの部分を考慮する必要があります。
そもそも「治る」「治らない」というのも、非常に定義が曖昧ですよね。
痛くなくなったらから治った、なのか。
もとの動作状況までできるようになって治った、なのか。
僕自身は施術者として平凡と理解しています。^^;
神業的な治療や考え方はできません。
だから、よく考えて一つずつ試していくしかありません。
たくさんの考案材料を汲み取り検証していく作業は、面白いです。
ここに面白みを感じて日々施術に励んでいるのですが、、、
皆さんはどうでしょう?
よかったら皆さんの考えも教えて頂けると嬉しいです^_^
今日は以上です。
一日頑張っていきましょう!!