こんにちは、しょちょーです。
訪問鍼灸マッサージをはじめた頃は、まわりの施術者も経験が浅いこともあって次のような話題を話すことがありました。
- 「患者さんの負のオーラをもらっちゃうんだよね」
今はどんな方が相手でもそんなことは思いませんが、今更ながらなぜそう思ってしまうことがあるのか考えてみたいと思います。
それを言いたいだけ、もある
「自分は患者さんの気持ちに寄り添って、深く深く突っ込んで治療をしているんだ」
というような状態をアピールするために上記のような発言をしているケースもあると思います^^;
僕のことですが。
道路の水たまりよりも浅はかな考えをしているが故にこの発言に至っているのだと思います。
結局の所、あまりにも経験不足なので、黙々と訪問治療しておいでっていう話ですね。
患者の問題と、自分の問題をごっちゃにしている
ここから真面目な話です。
患者さんの抱えている問題は、施術者である我々からすると結構たくさん見つかります。
これは客観的に患者さんの状態をみれているということですね。
- 身体の問題
- 必要な介助量
- 環境の問題
- 家族関係の問題
- 死期の問題
- 患者の思い残しの問題
これらは少なからず見えてくるし、見た上で治療方針の参考にしていくわけです。
こうなると、施術者の頭の中には「患者の問題」がぐるぐると駆け巡ることになります。
しかも患者自身の心の奥底にあるであろう重要な発言を聞いているときには、こちらも真剣に身構えて聞いている。
こうなってくると、少なからず施術者自身にも負荷がかかります。
このときに、患者さんの問題が「自分の問題」にすり替わるというか、擬似的に重なっている状態になってしまう方がいます。
これが「もらっている」状態ですね。
患者さんは患者さん、自分は自分と認識する
いくら患者さんの深い部分に触れさせてもらったとしても、
患者さんは患者さん。
自分は自分。
こういうことですよね。
患者さんが末期がんとして、「◯◯が心残りだなぁ」とポツリと漏らしたとしても、それは患者さん自身の問題です。
感情移入をしてしまって、施術者である自分を揺らがせてはいけません。
僕たちは「鍼灸マッサージ師」という国家資格を取得し、施術者として患者さんとか関わっています。
業務時間中は施術者として、施術者の立場として何かできることを模索しますが、それ以外の時間ではプライベートの自分の立場として、きっちり切り分ける必要があると思います。
むしろ、患者さんとしては「プロの施術者(先生)であるあなた」に相談しているのであって、ここは職業性が求められているわけです。
プロとして、問題を切り分けて平常心で淡々と、それでいて深く受け止めながらサービスを提供していくのがいいと思います。
課題や問題は分離して考える
患者さんが余命3ヶ月と診断され「孫が小学生に上がるまで生きたかった」と発言したとします。
このとき施術者が感情移入すると「なんだか自分まで悲しくなってきた」というような気持ちになります。
でも『これは誰の問題なのか?』と問題を分けて考えてみると、、、
この「生きたいのに生きれなくて辛い」という気持ちは、あなた自身ではなく、患者さんの問題だと分かります。
この余命に対して、どう向き合って、どんな行動をとっていくのか考えるのは、患者さんが考えるべきことです。
もちろん、僕たち施術者はプロの立場として患者さんの行動を後押しできるよう専門分野の観点から様々なサービスを届けます。
僕たちにできることはそれだけなんだと思います。
もしこの患者さんの問題を、他人である僕たちが背負おうとすると苦しくなります。
「背負ったっていいじゃないか!」
と言われそうですが^^;
でも、背負ってしまうとプロの立場じゃいられなくなります。
他にも支えるべき患者さんたちに適切なサービスを届けられなくなる可能性がでてきます。
こういう考え方はアドラー心理学から学ぶことができます。
上記の使い方が心理学上正しいかどうか(学術的に正しい表現をしているのかどうか)は分かりませんが、自分の心を平常に保ち、常にコンディション良く治療にあたるには、こういったことも学んでおくと良いかと思います^_^
【マンガで分かる心療内科】アドラー心理学編
変に論文口調の書籍を買うよりも、ささっと読めてクスっと笑えるマンガのほうが僕は好きです笑
面白い本なので気になった方はどうぞ^_^
今日は以上です。
それではまた!